2015年4月21日火曜日

古川祭りとケンブリッジと僕

4月19日。

9年ぶりに古川祭りのお越し太鼓に出た。
僕には今回の祭りには特別な思いがあった。
小さい頃から祭りの前は毎晩笛の練習で、当日は屋台に乗って笛を吹いた。青龍台を担当する殿町の子供達はみんな参加した。



(屋台)


昼間は大泣きして獅子から逃げ、夜は家族でさらし姿の父親を見送り、起こし太鼓が通るのを時には下から見上げ、時には家の二階から見たりして育った。


(獅子舞)

















(太鼓の上に乗れるのは古川人でも一生に一度。親父も乗った。)



























そのせいか祭りの音が耳に入ると自然と心がそわそわしてワクワクしてくる。自分の心に染み付いた祭りのリズムが何歳になっても蘇ってくる。

ずっと出たいと思っていた古川祭りに僕が初めて出たのは就職が決まった大学四年生の時。やっと出れると楽しみにしていたけど、終わった後に少し虚しさが残った。

そん時思ったのは、
「この祭りは、地元の人々による地元の人々のための祭りやな」
ということ。
飛騨で暮らして飛騨の長い冬に耐え、祭を長期間準備したからこそ、楽しいんやろーなってすげー伝わってきた。
高校卒業後地元を離れて、これから社会人として東京で一旗挙げよう!と思っていた僕が当日ひょこっと来たわけで、付け太鼓や初めてのとんぼは楽しかったけれど、胸の奥に少し違和感を感じてしまった。


(付け太鼓。まじで死ぬかもと思う瞬間が3回ぐらいある。。。)






















たぶんこの時は自分のことを古川人と言い切れなかったんだとおもう。



そしてこの初めての付け太鼓の後ある決心をした。



それは、


「飛騨に戻って飛騨で暮らすようになるまでは、もう古川祭りには出ない」


ということ。

地元に戻って心から楽しめるようになるまではもう出たくなかった。



その後、一度だけ昔付き合っていた彼女を祭に連れてったことがある。その時はただ見るだけで、太鼓の音、ツレの姿がやたら心に響いた。

「俺このまま祭り出ずに終わる可能性もあるにけよ、そんでもいーんか?」
「古川に生まれたからには祭り出てー!一番上のりてー!」
と自問自答したのを覚えている。
でも大学一年時からぜってー地元帰るって言っとったのにいつになるかわからなんし、100%自信がなかった。もどかしかった。

月日は流れもう祭には出ないと誓ってから、ちょうど8年後の春。色んなタイミングと仲間にめぐまれて地元に帰ることができた。


住民票を移し、二つの事業を仲間と飛騨古川で始めた。その半年後ケンブリッジ大学に留学した。

飛騨を拠点にしていて、たまたま一年間はイギリスにいるという状況であって、僕の中では昨年が古川やんちゃとしての再スタートだった。
祭の準備には関われなくても、飛騨で生きる覚悟を決めて拠点を移した今の自分なら、今の気持ちなら、きっと楽しめると思った。
だから9年ぶりの古川祭りにはどうしても出たかった。

祭りに出るためには、大学のプログラムであるグローバルコンサルティングプロジェクト期間中に日本に戻る必要があった。日本企業は大学が提供してくれないので、自ら交渉して調達する必要があった。

プロジェクトも前倒しで終わらせ、同期とのJapan Tripも祭前に終わらせる必要があった。出来れば母親の誕生日に古川に戻れると完璧やなと思ったけど、ここは同期の予定に合わせようと思っていた。
結果として、星野リゾート社とのプロジェクトが決まり、優秀なメンバーと前倒しで取り組んだため同期最速でプロジェクトが終わった。
チームメンバーも結婚式の予定があったり、家族をイギリスに残している等で早めに日本から旅立ったため、ちょうど母親の誕生日に飛騨に戻ってこれた。

そして奇跡的にケンブリッジ在学中にお越し太鼓に太鼓縛りや前夜祭から参加できた!


正直こうなるとはおもってなかったけど、振り返ると全てが完璧なタイミングで繋がった!


肝心の祭の感想やけど、でーれやべー!楽しかった!


青龍台には小さい頃から一緒だった先輩や後輩がたくさんいたし、町に繰り出せば同級生に会ってテンション上がるし、古川を離れていた12年がまるでなかったかのような気さえした。

一方で、一緒にスケボーやっとった後輩はもう10年選手で現場を仕切る程になっていたり、時の流れを感じることもたくさんあった。

英国からいきなり古川祭に来た自分の目には、全てがより新鮮に写った。


品格ある古い町並み、寺と満開の夜桜、お越し太鼓と付け太鼓の組み合わせは、本当に日本的で美しく神秘的に見えた。



















付け太鼓の上からとんぼをしながら見下ろす観光客とカメラのフラッシュの連続は、幻想的な空間をスローモーションで回っている、映画のワンシーンの様な光景に感じた。



(とんぼと呼ばれるパフォーマンス。まじで危ないw)


















そして、全て終わった後に感じたことは、9年前と全く同じこと。

「この祭りは、地元の人々による地元の人々のための祭りやな」
ということ。

それから、

「古川に生まれて良かった。古川に戻ってきて良かった。」
ということ。

当日まで祭りをつくりあげた方々に感謝です。

来年からは準備から頑張ってもっと楽しんでいきます!


まだまだ知らないことも多いし、毎年出ると違うのかも知れないけれど、少なくともいまはこんな感じです。


授業もいくつかで出れんかったし、左足の親指の爪ももってかれたけど、いよー!


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